平成猿蟹合戦図

TALK&INTERVIEW Vol.2

国政へチャレンジするバーテンダー、長崎の離島からやってきた子連れのホステス、秋田で一人暮らしするおばあちゃんなどなど、主人公はなんと8人! いくつもの、従来の吉田作品とは異なる要素を持った最新長編小説『平成猿蟹合戦図』。しかし書き始めた当初は決まっていなかった!? 公式サイトに語る、創作ここだけの話とは…。
書いていて気づいたんです、これはお伽話なんだって
「最初に決まっていたのは、ひき逃げ事件が物語を牽引するということ。そして、冒頭の美月が歌舞伎町で赤ん坊を抱きながらしゃがんでいるというシーンだけでした」。
 吉田修一の2年ぶりとなる新刊長編小説『平成猿蟹合戦図』。歌舞伎町のバーテンダーが、地元・秋田から衆院選挙に打って出る、という大胆なストーリーだが、作者の頭の中ではほとんどのことが「決まっていなかった」のだという。
「この小説を書き始める少し前に、映画『悪人』のロケで長崎の五島列島を訪れました。スタッフと一緒に入ったスナックで、僕たちについてくれた女性が、実は長崎の離島から上京する真島美月のモデルです。なぜか当時のことが印象に残っていました。東京と地方って、交わるようでなかなか交わらないじゃないですか。けれどあの夜は、東京と地方が同居していたんですよね。『猿蟹』の冒頭では逆に、地方が東京にポンとやって来た風景を書いてみたかったんです」
 美月は我が子と共に東京・歌舞伎町のホストクラブで働いているはずの夫・朋生を訪ねる。しかし彼はすでに店を辞めており、途方にくれて非常階段に座り込んでいるところをバーテンダーで朋生の友人でもある浜本純平に声をかけられるのだ。
 この浜本純平が、ひょんなことから衆議院選に地元・秋田から出馬する張本人だ。きっかけはひき逃げ事件の目撃。純平が報道で知った犯人は、自分が目撃した人物と別人だった。純平は朋生と共に、真犯人であるチェロ奏者・湊圭司を脅迫し一儲けしようとする。そこに湊のマネージャー、犯行の罪をわざとかぶった実兄の娘や秋田に暮らす祖母、純平の働くクラブのママなどが関わり、主人公は8人! 長崎、東京そして秋田のさまざまな人々の人生と思いが交錯する…わけだが、当初作者の頭の中にそのプロットはほとんどなかったのだ!
「今回の作品を執筆し始めた時期と映画のプロモーション時期がちょうど重なっていました。週刊誌の連載小説と同時に進行するのがスケジュールとしても非常に辛かったんです。けれど何回か書き進めていくうちに、主人公である8人のことを自分が“あ、いるな”とリアルに思うことができたんですよ。例えば歌舞伎町に行けば、浜本純平がいると容易に想像することができるような…。そう感じられるようになってから、話がスムーズに流れるようになっていきました」
 かつて『悪人』のインタビューで、吉田は「初めて登場人物の声が聞こえたような気がした」と言っていた。今回の『平成猿蟹合戦図』では、存在自体を感じることができたのだという。そう思えた時、物語は思いもよらぬ方向に流れていった。彼らは出会い、場所を移動し、信じられないようなチャレンジに打って出ることになっていく。
「今まで地方から東京に出てくる、東京から地方に帰るというパターンは書いたことがありましたが、地方から東京へ出て、さらに違う地方へと移動するというのは今回が初めてです。その流れによって、行き止まりな感じではなく、物語に突き抜けた印象が生まれたんです。そして『平成猿蟹合戦図』というタイトル。話が流れはじめ、作品について考えていった時、あぁこれはお伽話なんだな、と思ったんです。そう思えたら、純平が政治家になるという方向性が自然と決まっていきました」
 とはいえ選挙の知識など全くない。そもそも歌舞伎町のバーテンダーが5期も連続で当選している大物国会議員と勝負するなんて、いくらお伽話とはいえ、そんなウマイ話があっていいのか? いささか不安になって、担当編集者に話を持ちかけたのだそうだ。
「選挙コーディネーターという人に会って、いろいろと訊いてもらいました。そうしたら“この人、やり方次第ですが受かりますよ”と言われたんです。偶然なのですが、これまでの話の流れも当選するパターンを持っているって。今は何があってもおかしくない、お伽話がリアルになる世の中なんですね。ここでお伽話とリアルが交錯したんですよ。
 またここにいる登場人物をいるな、と思えたと言いましたよね。それと同時に、みんなに幸せになって欲しいとも思ったんです。みんなが理想的な幸せに近づける場所を見つける。それも小説を書く意味のひとつなんじゃないかと。まず純平=政治家へのチャレンジというが決まると、他の人もどんどんと決まっていきました。」
 作者のその言葉のように、本書ではみんな「収まるところ」を見つけている。実はこの8人、今までずっと損な役回りを引き受けてきた人たちばかりなのである。人生でなにがしか、こんなはずではというような思いをしているのだ。
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