書いていて気づいたんです、これはお伽話なんだって
 湊のマネージャーで、純平を選挙候補に仕立てあげた園夕子は本書でこんな印象的な言葉を語っている。
〜人を騙す人間にも、その人なりの理屈があるんだろうって。だから平気で人を騙せるんだろうって。結局、人を騙せる人間は自分のことを正しいと思える人なんです。逆に騙される方は、自分が本当に正しいのかといつも疑うことの出来る人間なんです。本来ならそっちの方が人として正しいと思うんです。でも、自分のことを疑う人間を、今の世の中は簡単に見捨てます。〜
 これはそのまま、主人公全員の心情だと言い換えても良い。自分が正しいのかと揺れ、騙されてきた8人。この物語では、彼らが紆余曲折の上に幸せな居場所を見つけるのである。それは同時に、失うのが怖いものを見つけてしまった、手に入れたのだと言い換えることもできるだろう。過去の吉田作品とも通じるテーマだ。
「『悪人』で、殺される佳乃の父親が大切なものを持っているか、という独白をします。今の世の中、失ったら怖いものを持っていない人が多すぎるという話を。今回の登場人物たちの居場所がないというのは、失ってこわいものを持っていない状態とも言えるんではないでしょうか。つまりこの作品は、彼らが居場所を見つけ、本当に大切な物を見つける話です。持っていなかった人が人生において大切な何かを得る、そういう意味でもお伽話なんですね。
 自分は、今日に至る過去の話ばかり書いていたと思います。しかし、今回初めて、明日のことを語りたくなりました。みんなが幸せな居場所を見つける『猿蟹』は、これまでと毛色が違うと思う読者がいるかも知れません。それは明日や未来を語ろうと思ったことで、見えてくる世界が広がったというのもあるでしょうね」
 作者に訪れた初めての心境。吉田作品が好きな読者なら、確かにこの作品は異色だと思うかも知れない。かつて理不尽な出来事は、理不尽なまま存在していた。しかし今回、人のいい登場人物たちが収まる先には、スカっとした澄んだ青空のような読後感が広がっているのだ。確かに吉田作品らしくないとも言える。しかしこうも考えられるのではないだろうか。
 今まで吉田修一はリアルと評されるような、時代に寄り添うような作品を常に発表してきた。既得権益層との戦い、騙す側の論理、騙される側の心理。そして、大切な物を見つけてから始まる人生の意義。『平成猿蟹合戦図』で描かれている事柄や、作者が焦点を当てていることは、今の社会構造や見直されている価値観とリンクする部分が多い。『平成猿蟹合戦図』は、作家の新境地を切り開いた作品ながら、今という時代を切り取ってきた作家の真骨頂でもあるのだと。
「書き始めた時は、日本がこんなことになるとは思ってもいませんでした。執筆中の自分は本当にきつかったですけれど(笑)。その大変さを少しでも解消しようと、こんなお伽話になったのかと思ったりもします。けれど、みんなが収まるところに収まる。それを目指して書いた小説が、現代にもフィットしていたら、それほど嬉しいことはないですね」
text Toshie Tanaka